銀座と並ぶ日本を代表する商業エリアとして世界に知られる
『原宿』
地図を見ていただけると分かりますが、『原宿』という地名は存在しません。
なぜならば、昭和40年の住居表示変更によって地図から『原宿』という名前が消えてしまったからなのです。
それ以前は、今の神宮前1~4丁目が「原宿町」「竹下町」、5~6丁目が「穏田町」という名前。
もっとさかのぼると、明治時代初期は「原宿村」と「穏田村」の二村のみが存在していたそうです。
この「原宿村」と「穏田村」の名前が歴史上出てくるのが江戸幕府が開かれる少し前、徳川家康の関東入国の頃!
「本能寺の変」の際の伊賀越えで家康を警護した伊賀者に対して知行地として与えられたのが「原宿村」「穏田村」だったそうです。
「原宿村」の名前の由来ですが、江戸幕府開幕の約50年前の資料にも記されているくらい古い地名で、どうやら鎌倉街道の宿場町として「原宿」の名前が存在していたようです。
一方の「穏田村」
こちらの名前の由来は諸説あり、未だ明らかになっていないようです。
その後、明治22年の市町村制の施行によって「原宿村」と「隠田村」は「千駄ヶ谷村」と合併。
それぞれ「千駄ヶ谷村大字原宿」「千駄ヶ谷村大字隠田」となりました。
さらに、明治40年には「千駄ヶ谷町」となり、昭和7年の区制施行に伴う町丁名改正によって、「千駄ヶ谷町」は「渋谷町」「代々幡町」ともに東京市に編入され、「渋谷区」が誕生しました。
このとき、併せて「原宿1~3丁目」「隠田1~3丁目」「竹下町」と変更。
そして、冒頭の通り、昭和40年の住居表示変更によって、「原宿」「隠田」「竹下」の名前が消え、現在の「神宮前」の地名となりました。
ちなみに、「神宮前」の地名の由来は、「原宿」「隠田」ともにその名前には歴史があり、どちらを採用するのか決めかねたことから「明治神宮の前」ということで「神宮前」になったとのことです。
「原宿」「穏田」の名前は地名からは消えましたが、最寄りのJRの駅は「原宿駅」ですし、今でも地元の町会や商店会にはその名前が残っていますよ。
原宿駅の旧駅舎がまだ存在していた頃の新駅舎と写した写真